ブッダと日蓮を貫くもの

ブッダ日蓮を貫くもの
そもそもブッダが書いて残したものは、イエスソクラテスと同様にない。全ての仏典と呼ばれているものは、ブッダの直接の弟子たちが残したものや後世の人たちの創作物だ。
その中には『スッタニパータ』など、ブッダの直説に近いされる仏典はあるが、インド、中国、日本に仏教が渡ることによって多様な考え方が仏典と呼ばれるようになった。
 ブッダの死後、仏教は、ブッダの思想とは違ったものに変わっていった。そのたびに、ブッダに戻れという運動が起きた。インドの龍樹や法華経の創作者たちの運動、中国の鳩摩羅什法華経を翻訳して中国人に伝えた人)、日本の日蓮などだ。日蓮は、法華経の中でもかなり特殊な読み方を原始仏典と呼ばれるブッダの直説に近いものよりも最上の法(真理)とする立場だが、そのブッダの直説に近いとされる教えと日蓮にはもちろん共通点がある。
そもそも、ブッダの元々の思想とはどのようなものだったのだろうか。昨今、転生もののアニメが流行っている。仏教はよく輪廻転生と一緒に語られてきた。しかし、輪廻転生は仏教以前からある思想で、ブッダはその輪廻転生を批判した人物である。ちなみに自分はその輪廻転生を条件付きで信じています。これも信仰だと言えると思います。死んだ後に天国に行くという世界観もあるけど、自分が気づいたらこの世界で意識をもっていたように、また同じようになるのではないか漠然と信じています。死んだ後を経験して戻ってきた人はいませんので、証明するものはありませんが。死の問題について何らかの説明を与えて安心を人々に与えるというのが宗教の働きの一つだと思うけど、それは悪用もされてきた。
ちょっとテーマから外れるのですが、『この素晴らしき世界に祝福を』というアニメを見ました。主人公は死後、女神に転生するのか天国に行くのかという選択を迫られます。これは古代インドの宗教とキリスト教的世界観が混じっていて面白いと思う。転生もののアニメは宗教と似た働きをしているのかもしれない。
 
輪廻転生思想そのものは仏教ではない。輪廻転生は、仏教以前からある古代インドの宗教であり世界観だ。

仏教は、その仏教以前からある宗教、思想を批判することで生まれた。

ブッダに「人は生まれによってバラモンになるのではない。行いによってバラモンになるのだ。」という有名な言葉がある。バラモンというのは、インドのカースト制度の頂点に位置するバラモン教ことだが、ここで高貴な人という意味。つまり、人は生まれによってではなく、行いによって高貴な人になるのだということ。

こんなことは、当たり前だと思われるかもしれない。小学生でさえ、国語で、登場人物の言ったことや行ったことで、登場人物がどのような人物であったか推理することを学習することになっているくらいだ。しかし、この言葉は、当時の時代状況とセットで理解する必要がある。

当時のインドは日本の江戸時代と同じ階級社会だった。人は生まれによって決まる社会だった。最低の身分に生まれたもの、貧しいもの、病んでいるものは、最高階級の僧侶に「あなたが不幸せであるのは、前世で、盗みを重ねたり、生き物を殺したり、悪い行いをしてきたからだ」と言われた。自業自得であると。

「人は生まれによってバラモンになるのではない。行いによってバラモンになるのだ。」

このブッダの言葉は、このような社会状況の中で言われた。