数学には、直観(直接観察)できるレベルと、そういう直観を超えたレベルがあることが、歴史的に認識できる。

ここから、かけ算には順序があるのかないのかという話に一つの結論が出ました。

直観できるレベルは、地域によって順序があるが、その順序には必然性はありません。

例えば、3・4という掛け算から私たちは長方形を思い浮かべることができます。この時に3と4は違うのは、たて掛ける横なのか、横かける縦なのかなど、その時の視点によって順序が出てきます。

日本では、一つ分×いくつ分と順序を公立小学校では教えられますが、アメリカではいくつ分×一つ分と教えられます。オリンピックでは、4×100mと400m走を表現していました(100mを4回走る長さを、このレベルなら容易に直観できるでしょう)。

この順序には、地域によって違いがあるだけで必然性なく歴史的に偶然決まっていったものです。

また、3・4・5と三つの数のかけ算から立体を思い浮かべることができるでしょう。しかし、3・4・5・6・7とかけ算する数がどんどん増えていったらどうでしょうか。無限に増やしていくも可能です。このときに平面や立体などの形を思い浮かべることはできなくなるでしょう。かけ算はどのように順序を変えても答えが同じだとするともはやどちらが先でなくてはいけないというようなかけ算の順序の意味は消滅するわけです。

Twitterなどで論争をわりざんを教える時期になるとテストを晒されて、論争になるというのを繰り返し見てきたわけですが、どういうレベルの数学を考えているか、どのような視点で数学をしているのか、また地域によって、かけ算に順序があるのかという問いの答えは変わってくるのです。

これは、数学が状況によって依存するものであるということの一つの事例でもあると思います。