確率と本当の偶然は違うかもしれないですね。確率的な現象には、確率的構造がある。
偶然には2段階あると考えてもいいのかもしれない。確率というのは、当てずっぽうではない予測につながる。しかし、この世界には予測不可能な偶然が溢れている。
このことは、教育の仕事でも重要なことであるように思う。
 パールの因果論ってには、すごいな。確率だって影響関係にある。サイコロは確率的現象の事例として、最初に出てくるけど、そもそもがサイコロを振るわなかったら、目は出ないのだから。
偶然なんてないのかもしれない。人間の認識が追いつかなかっただけど。そういう立場なら、スピノザアインシュタインに戻る。
私たちの認識レベルでは、予測不可能なだけかもしれない。実際に生きるという観点からすれば偶然に思えるような、予測不可能な自体を避けることはできないけれど。
朝から上から下へジェットコースターが落ちていくように、真逆に方向に考えが揺れていく。
パールが好きかな。
日蓮とか色々なところに思考が戻る。きっかけはジュディア・パールの因果論。

 

偶然なんてないと見れた方が幸せな感じするけれど、どうでしょうか。

パールの因果論から考えると、そうなんだろうな。全ての物事は直接関連しあっているわけではないけど。ある出来事と違う出来事が直接の影響関係にある場合と関係の独立の関係にある場合がある。それでも、間接的には影響関係にあることだって、あり得るだろう。

これは大きなことかもしれない。
ヒュームとか、そういった人の考えに触れて、考えて、自分のもののみかたが変わったけど、またスピノザよりに動いたかもしれない。パールのおかげで。