単細胞な連中と関わるには、人生は短すぎる。

こういう理不尽な連中に強いられて、いまだに憎悪の気持ちが残っていることを自覚する。まあ、もうほとんど気にならない程度だけどと書いてみたけど、実際は違う(だから書いているのだ)。ルサンチマンである。しかし、ルサンチマンも力にして見せると思ってきた自分を思い出す。自分は人を救うことはできないと思う。でも、助けになれるかもしれない。

もう憎悪みたいな気持ちはほとんどないし、むしろ同業者だから同情するけど、単細胞な連中に苦しめられてきたということは事実で、自分の悪い意味で原点の一つだと思います。その反動しての教育設計です。

 

苦しめられるというのは大袈裟というかそのままでとても不快な出来事でした。憐れみもある。そうやって許していくのが成長なんだろうか。自分が力をつけていけばいいんですね。