判断力のない愚者、狂人が政治家になると多くの人が不幸になる。しかし、民主主義国家でそういう政治家を生み出すのは、国民の一人一人。

昔は、学校教育の質が低すぎるためだと考えていた。例えば投票率が低い。これは学校教育の失敗だと。確かにそうだけど、それだけではない。教育というのは、学校だけで担うものではないからだ。大きな影響があるとしても(子どもたちの多大な時間を拘束していて、その影響が少ないとは言えない)、学校は、その一部を担うにすぎない。

トルストイやカントの国が狂人政治家に支配されてしまう歴史の悲しさ。しかし、こういう狂人政治家が世界に出てきてしまう確率を0にはできないにしても、努力と工夫によって少なくすることはできるはず。

他の国に無関心ではないけど、日本は、このままでは、少子高齢化で、自分も含めた無知で判断力のない、愚かな多数の老人によって支配されて、国として落ちていくのかもしれない。

自分は、40歳を超えておじいちゃんなんだと思う。仮に20歳の時に子どもができて、その子どもが20歳で子どもを出産したすると、自分はおじいちゃんと呼ばれる年齢なのだ。そのことを考えると自分はもう老人なのだと思う。おじいちゃんとして、諦めずに最後まで生きたいと思う。

「理想を高くせよ、敢て野心大ならしめよとは云はず、理想なきものの言語動作を見よ、醜陋の極なり、理想低き者の挙止容儀を観よ、美なる所なし、理想は見識より出づ、見識は学問より生ず、学問をして人間が上等にならぬ位なら、初から無学で居る方がよし」夏目漱石

「学問は綱渡りや皿回しとは違う。芸を覚えるのは末のことである。人間が出来るのが目的である。大小の区別のつく、軽重の等差を知る。好悪の判然する、善悪の分界を呑み込んだ、賢愚、真偽、正邪の批判を謬まらざる大丈夫が出来上がるのが目的である。」夏目漱石